院長挨拶

院長 渡辺 邦夫

笑顔・親切・信頼を我々スタッフ一同のモットーとして掲げ、思いっ切りの「笑顔」で患者さんをお迎えし、「親切」な、わかり易い医療を提供し、スタッフと患者さんとの間にしっかりとした「信頼」関係が築かれますようにと祈念し、ただひたすら無心で走り抜けて来たような気がします。こんな中、「健康と文化情報の発信基地」を目指しております。

50年目の総括

渡辺邦夫  1952年(昭和27年)1月10日生まれ

 今日50歳の誕生日を無事迎えることができた。子供の頃イメージしていた50歳は、顔が脂ぎっていて、ポマードの匂いがぷんぷんする「オヤジ」って感じだった。でも自分が実際50になってみると、何故か、自分の気持ちと言うか、精神年齢は30代でストップしたままという気がするし、実際鏡に自分の姿を映して見ても30代にしか見えない。ずうずうしいと言われてもこれは、極めて個人的な率直な感想であって、みんなに強要するつもりは無いので、許していただきたい。若く見られたいと思った事は無いし、実際の歳より若く見られて嬉しいと思った事も無い。自分のこれまでの生き様が、精神と肉体に様々な影響を与え、50年を経た今の自分が存在すると思っている。

 おかげさまで好きな事をやりたいだけやって来たが、道を踏み外す事も無く、今とても幸せな日々を送らせてもらっている。整形外科医というのも私の性に合っているような気がする。何気なく選んだと言っては語弊があるが、大体において、医師という職業を選んだのも、高校3年3学期の3者面談の前夜だし、割と簡単に人生の大事を決めてきた気がする。もちろんその時は非常に真剣に考え抜いた末だったとは思うが、誰に相談することもなく一晩で決めた事も多い。にもかかわらずこれまでの人生で、何十回となく大きな決断を迫られる場面があり、いま振り返ってみると、そのことごとくすべてに正しい選択をして来たと思う。これを可能にして来たのは、もちろんラッキーだったケースもあるが、「バランス感覚」と「勘の良さ」だったと、自分では確信している。最近特に職員,患者さんをはじめ、出入りの様々な人達から、尊敬され、慕われているのを常に肌で感じながら毎日の時間が流れている気がする。(ちょっと1人よがりの妄想かなあ?)人に、誠心誠意、親切にしてあげて、心から感謝され、「おかげさまで!」、「ありがとう!」と言う言葉を毎日毎日聞きながら流れる時間は、結構快適なものである。「40過ぎたら自分の顔に責任を持て!」と言うけれど、こんな生活を毎日やっていたら、徐々にいい顔になって行くのは当然かなと思う。今とても幸せだなと感じるのは、「信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つくほうがいい」と歌った、武田鉄矢ではないけれど、「人を信じられる」ということかと思う。人の言うことを素直に受け入れる。皮肉っぽく、斜に構えて、裏を探りながら聞くのではなく、心から、ストレートに相手の言葉に耳を傾けることができる自分がとても幸せだと思う。自分はこれまでずっと本音で生きて来た。腹芸を得意とし、建前ばかりでなかなか本当のことを言わない日本人社会の中では、誤解されることも多く、時には落ち込んで、本気で欧米へ移住することを考え、計画を進めていた時期もあった。しかし最近自分のようなタイプの人間が日本の中でも徐々に増えてきており、彼らがトップに立つケースも目につく様になって、以前よりは大分過ごし易くなって来たと感じている。自分の考えをしっかりと相手に伝え、相手の意見も良く聞き、真正面から向き合ってディスカッションする。結果出て来た結論には納得して従う。とても簡単な事だと思うのだが、これが出来ない人がとても多い。その場ではだんまりを決め込んでいて、後でぶつぶつ文句を言う類である。

 この頃、みんないい人ばかりだなあと思うことが多い。もちろん悪い人も中には居る。でもそんな人にも必ずいい所はある。その人が自分に対してその良いところを出してくれたら、自分にとってその人はいい人になる。いつも思うのだが、他人は自分を映す鏡であると考えるようにしている。自分の持っている嫌な部分で相手に接すれば、相手も自分の持っている嫌な部分でこちらに対応して来るのだと思う。つまり相手が悪い人なのではなくて、自分の提示した嫌な部分に反応したに過ぎないのだと思う。善良で、親切で、人を疑ったりしない、いつも笑顔の絶えない人に対して、意地悪をしてやろうと思う人はあまりいないだろう。

 私の究極の目標は、「わたなべ整形外科」と何らかの関係を持った人すべてが幸せになることである。職員として、患者さんとして、出入りの業者として、その他様々な形でうちの病院と関わるすべての人が幸せになることを常に目指して努力しているつもりである。今の院内に流れる、いい意味での緊張感を、私はこれからも大切にして行きたいと考えている。私が手を抜けば、職員もいずれ手を抜くようになるだろう。診察の時、私は患者さんに説明をしながら、常に、周りに居る職員を教育しているつもりである。私の医療に注ぐ情熱が職員に少しでも伝われば、彼らも意気に感じてくれると信じている。私は常に、「頑固オヤジ」として確固たる信念を掲げ、安易な妥協をせず、患者さん本位の医療をこれからも頑なに、そして地道に展開して行こうと考えている。足利およびその周辺地域に住む人達にとって、いつも安心してかかれる、駆け込み寺のような存在になりたい。とりあえずあそこに行っておけば安心だと言ってもらえる様になりたい。そして、足利の人にお国自慢の1つとして、「うちの街にはこんなすばらしい病院があるんだぞ。」と、他の街へ行った時、取り あげてもらえれば私にとって最高の勲章だと考えている。

 最近、大前研一氏の言っていることが以前よりも実感として理解できる気がする。「職業人」「家庭人」「社会人」「個人」、人間には4つの時間と生き甲斐、そしてその向こう側にそれぞれに対する責任があると言う彼の主張はとても共感できる。院長としての責任(最高水準の医療を、わかりやすく丁寧に患者さんに提供しているかどうか、職員の待遇はどうか)、夫、父親として家族に対してきちんと責任を果たしているかどうか、社会人として、地域社会とどういう関わりを持ち、どの程度の社会貢献をしているか。こういう責任をすべて果たした上で、どんなに忙しくても自分のプライベートライフ=「遊ぶ」時間を確保することが重要であるという彼の考え方は、自分の目指す方向と一致していると考えている。今後数年の間は、不況が益々深刻化し犯罪も増え、社会情勢はかなり悪化することが予想されるが、常にバランス感覚を失わず、冷静に世の中を見つめ、正しい判断が下せるように、心と体の健康管理を徹底しようと考えている。   

2002年1月10日

究極の医療環境を提供

1952年1月10日生まれ、足利高校、北海道大学医学部卒業、 順天堂大学麻酔科学教室にて研修後、慶応大学整形外科教室入局。都立大久保病院、川崎市立川崎病院、伊勢慶応病院、 富士重工健保組合総合太田病院、国立埼玉病院、足利赤十字病院を経て、平成元年10月16日「わたなべ整形外科」開業。平成3年「医療法人もみの木会 わたなべ整形外科」と組織変更。趣味:テニスとスカッシュ、クラシック・ジャズ・ボサノバ・シャンソンなど音楽鑑賞。また開業以来続けている院内クラシックコンサートは今年6月、第80回目を迎えた。「最後まで看てもらうよ、命を預けるからよろしくね」と、渡辺さんの手を握る80代の患者さんがいる。わたなべ整形外科に通う渡辺さんの熱烈なファンは多い。渡辺さんはなぜそれほどまでに患者さんを魅了するのだろうか。

人気の秘密

アイスホッケー部に所属した大学時代、パートナー校の藤女子大にファンクラブができるほど人気があった。スポーツで鍛えた胸囲は125cm。ニックネームは金太郎。医学部ではもちろん異色の存在であった。太田の看護学校で教鞭をとった2年間、その熱い授業が評判で、学生による授業投票では常に1位だった。現在でも、その人気は衰えることがない。その率直で打ち解けた、正直で包み隠しのない診療スタイルは、今なお、老若男女問わず多くのファンを増やし続けている。近づきやすい気さくな物腰と若々しい笑顔が印象的だ。

現在わたなべ整形外科がある、まさにこの敷地で、渡辺さんは生まれた。かつて同じ場所で父は繊維業を営んでいた。4人兄弟の次男であった渡辺さんは、決して医師になることを幼い頃から夢見ていたわけではなかった。中学時代は、当時、県大会9年連続優勝という驚異的な記録を作り上げた花形のハンドボール部の一員であった。高校では、弱小ハンドボール部を県大会優勝に導くほどのリーダーシップを発揮。そんなスポーツ一色の青春時代を過ごした渡辺さんに、医師を志すに至ったきっかけを尋ねると、驚くべき答えが返ってきた。なんと入試直前、3学期の三者面談の前日まで志望校を決めておらず、進路相談を無事に終えるために「医学部」と答えたのがきっかけだったのだ。先生や両親は、それまで部活に専念していた彼をよく知っているだけに、当然反対や不安の声を漏らした。しかしまさに有言実行、ハンドボールで培ったその集中力の高さを発揮し、無事に医学部へ合格を果たしたのだった。そして今の渡辺さんを形作る転機がその大学時代に訪れることになる。

フレンドリーな診療スタイルを形成したもの

高校時代はスポーツ一辺倒で、一度も喫茶店に入ったことが無いほどの硬派で真面目。相当量の勉強を求められる医学部でも息つく暇はないはずだった。しかし渡辺さんは大学2年の夏、バックパック一つで、3ヶ月間のヨーロッパ旅行を決行した。これが大きな転機だった。ヨーロッパ生活も1カ月を過ぎる頃には英語で寝言を言うようになり、3か月目には英語で喧嘩ができるまでになり、次第に周りに様々な国の若者が集まり始め、夜通し議論をするほどになった。「それまでは田舎のシャイな学生だったけど、旅行中何か吹っ切れて、国籍、年齢、性別を問わず、人の目をまっすぐに見て話ができるようになったんだ。」と渡辺さん自身は謙遜しておられたが、このとき培ったフランクでフレンドリーな振る舞い方が現在の診療スタイルにつながっているのだろう。

渡辺さんのまっすぐな性格は、整形外科を選んだ理由にも表れている。お茶の水の順天堂大学病院での麻酔科研修中、渡辺さんは、数多くのガン患者と接してきた。そして、がんの告知がまだ一般的ではなかった当時、ガン患者にガンであるとは言えない医師の辛さを身にしみて感じた。嘘をつくことなく仕事をしたい、そう思ってたどり着いたのが、ガン患者が少ない整形外科だったのだ。

名物院長の地域貢献

わたなべ整形外科は、毎週土曜日、院長の古巣である慶応大学病院から内科や整形外科など、学会でシンポジストとして活躍するレベルの医師を招聘している。自院の医療水準を慶応病院レベルに維持することが、まず第一の地域貢献と渡辺さんは考える。また、2階のボヌールビューティーメディックも渡辺さんの理念から誕生した。脱毛はそもそも厚生労働省の公式見解では医療行為と定められている。医療機関で行う脱毛であれば、より安心で確実な施術が提供できる、そうして始まったのがこのボヌールだった。ミッドタウンのクリニックなら2万円はする両ワキ脱毛が、ここなら5千円。同じレーザーマシンを使用しているので当然同じ効果が期待できる。この良心的な経営姿勢がお客さまからの好評の理由の一つであり、渡辺流の地域貢献なのだ。

渡辺さんが常日頃から口癖にしている言葉がある。「我々の組織と様々な形で関係を持った(コミットした)すべての人達が、みんな幸せになることを常に目指して精進したい。」足利がもっともっと元気になり、ハッピーをみんなで分かち合えるよう、多少でも貢献できれば本望です。と語る渡辺さんの思いは、すでに足利の医療と足利の女性の元気の源となっている。